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こんな私ですがよろしくお願いいたします

院長プロフィール
 

遠藤紀幸(えんどうのりゆき)

1967年(昭和42年)4月18日生まれ  牡羊座 ひつじ年のB型男子

現在埼玉県越谷市に在住

東京都品川区戸越で3人兄弟の2番目に生まれる

 

家族構成:妻、実母と3人

 

性格は基本穏やかですが、頑固な一面もあります。また、好奇心は旺盛で、興味を持った物事に関しては、まず手をつけないと気がすまないといった面もあります。それでハマったものに関しては深く追求する性格です。

 

 

趣味 

ギター :(エレキ)中学高校時代はハードロックやヘヴィーメタルが流行っていて、あこがれのギターヒーローの引き方を真似たりしていました。今でも休みの日にたまにですがへたくそなギターを弾いています。

 

 

料理 : 前職が食品関係の仕事だった影響もあり、自然に食に対する興味が出てきて、自然に料理を作るようになりました。

 


経歴:幼少期

当時のヒーローはウルトラセブン。小さいながらもあの大人びたストーリーが好きでした。今見ても色あせないですね。

当然の事ながら、特撮ものやアニメは一通り見ました。あの頃は何を見ても面白くていい時代でした。

一人で遊ぶのが好きで、ウルトラマンや怪獣のソフビ人形で遊んでいた記憶があります。

幼稚園時代

このころは身長も体重もぐんぐん増加していき、活発に動くようになりましたが、基本的に絵を描くのが好きで、友達とウルトラマンや仮面ライダーの絵を書いて、どっちがうまいか競争していましたが、どっちがうまいかで喧嘩したこともありました。

また、このころは何人かの子を泣かしたりしていた記憶もあります。(いじめっ子?ではないと思います)

小学校時代

昭和49年草加市内の小学校に入学。

昭和55年卒業

小学6年生の頃には身長が160cmを超え、体重も70kgほどあり、この先もまだまだ成長するものと思っていました。

身体のわりに短距離を走るのはまあまあ早かったです。ただし、長距離はいつもビリのほうでした。

中学生時代

中学生から春日部市のマンモス団地、武里団地に引っ越す。

その学区内の中学校に入学。

色々な期待を胸にわくわくしながら通学したのを覚えていますが、特に部活で活躍するとか、勉強ができるとかそんなことは一切なく、普通に仲のいい友達同士で、毎日を過ごしたり遊びに行ったりして3年間あっという間に終わってしまいました。そんな中でも、2年の時の合唱コンクールは印象に残っていて、クラス全員一致団結して市内大会まで行けたことが良い思い出となっています。

高校時代

何とか県立の高校に入学することができ、青春を謳歌しようと希望に胸を膨らませていましたが、そんな素晴らしいことがある訳でもなく、高校生活もあっという間に終わってしまった感じです。

部活は武道をやってみたいと思い、柔道部に入部。素人がいきなり柔道を始めて大丈夫か?と周りも自分も思っていましたが、何か夢中になれることがしたいと思って、思い切って始めました。

高校生になってからまだ身長が伸びると思っていたのですが、完全に身長が止まってしまいました。164cmで終了。

3年生の時には並ぶ順番が一番前になってしまい、並び順が一番後ろと、一番前を経験した人はそうはいないのではないかと思っています。

まあ女子にもモテるはずもなく、寂しい高校生活でした。

益々硬派に生きようと、ヘビーメタルやハードロックを聴くようになり、いわゆる流行物からは遠ざかるようになっていきました。かといってロン毛にはしていませんが、年齢より大人びた格好をしていたと思います。

当時は早く大人になりたくて、いわゆる○○や○○〇を陰でたしなんでいました。

当時はそれが半ば当たり前みたいな感じで、自分もご多分に漏れずといったところかと。

今はそんなことしたら大変な時代になってしまいましたが・・・・・。

会社員時代

高校卒業後は、パートなどを経て大手流通小売業グループの総合スーパーにて、食品事業部の精肉部で約20年間勤務。

 

仕事に関しては、入社してからの2年間は失敗続きで上司に怒られてばかり・・・。

 

お前なんかやめちまえ!!

何回言われたことか。

 

当時は言われれば反発もしましたし、ふてくされた態度をとったことがあります。

でも、その上司は自分を見捨てずに育ててくれて、何とか自分を使えるようにしてくれました。今でもその上司の事は忘れられません。

その甲斐あって、新店舗のスタッフとして抜擢され異動することができたのはいい思い出です。

一生懸命やってればいいことはあるんだと、そう思えました。

 

サラリーマン時代は決して順風満帆ではなく、時には部下に当たり、上司に反発し、やり場のない怒りややるせなさにさいなまれたこともありました。

そんな時でも同僚などが励ましてくれて、何とか乗り切っていく事ができました。

 

会社員時代は、立ち仕事でかなり身体に負担がかかる仕事をしていたのに加えて、スキーで左膝の靭帯を損傷した影響で、慢性的に足腰が痛い状態が続いていました。

ある時に仕事も困難なほどの腰の痛みに襲われ、病院に受信しに行きましたがレントゲンをとっても異常が無いため、痛み止めと湿布を処方されました。

しかし一向に良くならず、その後様々な治療院を探しましたが、ある時に予約した整体院で施術を受けたところ、一回の施術で今までの痛みが楽になり、数回の施術で問題なく動けるまでになりました。

その整体院というのは、私が学ぶことになった整体スクールの直営院だったのです。その素晴らしさに、迷わずこの学校で学ぼうと思いました。

 

 

整体師の道を志す、現場での臨床経験

40歳のころ、会社では早期退職などをあっせんする動きがあり、このまま会社に居続けても展望が見えないと判断し、20年務めていた会社を退職し、思い切って以前から興味があった整体師を目指すことになります。

整体のスクールに入ってからは、派遣社員で働きながら、行ける時間に整体の技術や体の構造、生理学を学んでいきましたが、技術や知識よりも一番大事なものである、整体師あるいは治療家としての心構えをしっかりと叩き込まれました。厳しい学校ではありましたが、今もそれが大いに役立っています。

卒業後は学校が運営する直営院の店舗責任者や副院長を経験し、当時低迷していた来院数をアップさせるなどの実績を残す。

 

3年後、さらに重い疾患をお持ちの方に対応をするため、整骨院で約5年半いろいろな症状の患者様の対応をしていきました。

 

延べ3万人ほど施術させていただき、技術や経営の方法などを勉強していきました。

 

東京銀座に開業

2018年1月に、念願の自分の治療院を持つことができました。駅から徒歩2分の好立地にあり、ビルの中にはネイルサロンやエステサロン、美容クリニック、内科、歯科などが入った健康や美に関する店舗が入っており、その一角のシェアルームにて営業を開始しました。

 

6畳ほどのスペースでベッドが1台の本当に小さい整体院でしたが、それでも銀座でできるという喜びのほうが大きかったです。

 

オープンして5日目に初めての患者さんがいらっしゃいました。その時の感動は、今でも忘れることができません。

ポスティングをしょっちゅうしていたので、銀座の街にも詳しくなりました。

都会だからチラシの反応は無いかと思いきや、ネットから予約された方よりも、チラシを見て予約された方のほうが多かったのが意外でした。

来院された方の中には有名な経営者の方もおり、何度もアメリカからの出張の帰りには必ずよっていただきました。その方は、私にとって人生の師のひとりでもあります。当時70歳を超えていらっしゃいましたが、すごいバイタリティの持ち主です。

 

自分もこのように成りたいと思わせる素敵な方です。

 

挫折から学んだもの、再出発

開業から半年、売上は思うように上がらず経費ばかりがかさみ、これ以上の継続は困難と判断し、今一度勉強し直そうと思い、撤退を決意しました。

 

撤退後、どうしようか考えていたところ、知人に介護の仕事を進められ、デイケアサービスで介護職員として半年間勤務することになりました。

 

介護施設での学びや気付きは大変大きく、高齢の利用者さんと接するうちに、様々なことを気付かされました。整体も介護も人に関わる仕事であるので、とても貴重な経験をすることができました。

 

介護の仕事は、利用者様の対応を一歩間違えたら直接命にかかわる事になるので、そこに従事している方は本当に尊敬します。

将来的に介護ができる整体師を目指して、高齢の方や、障害などがあり介護が必要な方のお役に立てればと思います。

 

しかしながら整体への思いは募る一方になり、介護の仕事をしながらも、またチャンスがあれば、再び店舗を構えて再出発したいと考えるようになりました。当時、仕事が休みの日に、出張整体という形を取っていましたが、気持ちを満たされるものではありませんでした。でも、施術をしている時間、人と接している時はとても充実感を感じました。

 

自分はやっぱり整体が好きなんだ!!

 

との思いを改めて強く思い、再度立ち上がるべく勤めていた介護施設を退職し、今まで自分に足りなかったものを学び直していきながら、今回、ほぼ地元の春日部という地を選びTotal Body Cure 癒か里としてオープンする運びとなりました。

 

一度挫折したことで得た学びは本当に大きく、この1年で自分を成長させてくれたと思っています。この時、本当の「自分の弱さ、無力さ」を知りました。

 

そんな時でも、周りには私を励まし支えてくれた方々がいました。本当にありがたいです。これからも日々謙虚に、世のため人のためそして自分が成長するため頑張っていきます。

整体師という仕事を一生の仕事として続けていくため、患者様に喜んでいただくための勉強に終わりはありませんので、毎日が勉強です。

 

自分はこうありたい

私には輝かしい実績もずば抜けた才能もありません。多くの失敗や困難な目に合ったこともあります。本当に不器用な生き方だと思います。

 

一応人の心の痛みはわかっているつもりですが、その度合いは人それぞれだと思います。

 

でも、ただ単に同情するのではなく、少しでも前向きに頑張っていけるように励ましていきたいです。そのために力になれることは惜しまずに協力していきたいです。

 

整体を40歳で始めて今現在まで実直に取り組んできました。やっと、自分が本当に真剣に向き合える仕事に出会うことができました。

 

困っている人に喜んで頂ける仕事、自分が一生かけて続けられる仕事が整体師としての仕事です。

 

残念ながら、整体師は国家資格ではありません。国家資格にならない要因はいろいろありますが、個人的には早く整体師が国家資格になるよう願っています。

 

そのためには、整体師と名乗る一人一人が、安全性や施術実績を高めていき、整体の有効性を広めていく以外にないと思っています。

 

何年もかかるかもしれないし、まったく現状から変わらないかもしれないし、それはわかりません。

 

でも、地道にやっていれば何かが変わるかもしれないし、そんな思いでやっています。

 

整体についてはまだまだ理解されていません。しかしながら、現実に整体の施術を受けて質の高い日常を手に入れられた方がいることも事実です。

 

科学的に証明されにくいものではありますが、私ができる事として、一人でも多くの方に、老若男女問わず安心して施術を受けていただき、日常生活をエンジョイすることが可能となるような未来つくりを提案、実証していくことこそが私の使命と思っています。

 

整体は大変有効な健康法であるということが多くの方々に理解されるよう一人一人出会った方に全力で対応させていただきます。

こんな私ですがよろしくお願いいたします。